2007年4月19日木曜日

葉巻岩窟王





我々はまだ蒸し暑い熊野の夏の終わりに、これまでいく度々なく訪れている我々のみが知るシガーポイントに向かった。それは、白浜の京大海洋研究所裏の塔島周辺の海岸の奇岩郡の場所である。ここは白浜でも殆ど人が来ない隠れ家のような所で、奇岩が海を半周囲んでいる場所である。我々は誰も来ないシガーポイントステージとして時折ここを訪れるのである。我々は今日も岩場の裏手に回り込み奇岩が風化し少し穴になっている所に腰を下ろしシガーを吹かすのであった。モンテクリスト5番を取り出し火を点け吹かす。そして周りの風景に目をやる。本日は台風の余波の影響と,潮が少し満ちている状態なので奇岩に打ち寄せる波が大きい。時折、ドゴッと波の炸裂する音がこのステージに響き渡るのである。ここの風景は見飽きる事がない。自然の織り成す好奇な風景。奇岩、波、風、遠くの海とその向うの風景、波の炸裂音、とんびが鳴いて一仕事をしてくれている。そのようなシチュエーションの中で我々はシガーを吹かし、今までの熊野シガー生活の集大成であり、やがて我々は自然と一体となり、我々自身がこの奇岩と一体化していく様な感覚に捉われる。そして我々は岩窟王と化すのであった。

波上郡仙図


9月に入りまだ昼間の酷暑が続く熊野地方の今日この頃、仕事をボイコットし我々は白浜にドライブに来たのである。本日は平日であるがまだ結構、海水浴客がビーチに多かった。そして、台風16号は朝鮮半島の方に行ってしまったようであるが、その余波も結構あるような白波が立っていた。我々はいつもの隠れ家的岩窟でシガーを吹かした後、日本書紀にもでてくる日本最古の温泉、崎の湯に久しぶりに入りに行ったのである。ここも平日ながら結構車が来ている。車を降り、岩場を回るとこの海辺の露天風呂の際近くまで波が打ち寄せていたのである。まずは服を脱ぎ、温泉に入る。やはり、昼間の露天は気持いいもんである、いい天気で空も青い。常連のおじさんやらお爺さんがいる中、岩場で休憩する事にした。すると一人のおじさんが「もうちょっと前、5m位行けよ!」と我々を挑発しに来る。そこで、中さんが意を決して岩場の前に進み寄る、前から大波が2つ来ているのが見える、後ろ波の方が大きそうだ。中さんが、波に洗われている。温泉と海水浴も出来てお得な日であるなぁ。隣では最長老らしき翁も岩場にへばり付き、下半身を波に洗われているなかなかのキャラであった。我々はシガリロ(カフェ・クレーム)を取り出し一服する事にした。隣におじさんたちは紙巻タバコで加勢してくれている。時が経つ毎に、波の打ち寄せるのが大きく、近づいて来ている。その潮風に晒されながら、シガーを吹かす。タバコを吸う。この我々の光景は応挙先生の水墨画に見た、現代の波上郡仙図である。


寒山拾得シガー




我々は熊野大辺路を旅した文人の長澤芦雪が逗留し最後に作品を残した場所である、地元田辺市にある真言宗の古刹、高山時にやって来たのである。山一つが寺の所領である。庭内はなにやら急ピッチで庭の改修中であった。その寺のど真ん中に、昔子供の頃写生会で来た時に描いた、大きな二重の塔がある。あれより4半世紀も経った今でもその見た目は変わらずにでんと鎮座していた。我々は、寺の居住区らしき玄関に入り、声をかけてみた。「すいません、なんとか寒山拾得図を見せて頂けないでしょうか」、寺の女将さんは「今は和歌山市の県立博物館のほうに預けておりまして、2年程前に芦雪の没後200年の時に展覧会があったばかりです。」とゆう。ならば、何かレプリカでもないですかと問うと、奥から展覧会の時の絵葉書を出してきてくれ、差し上げますとの事。「結構なものを有難う御座います」と告げ庭内を散策する事にした。その水墨画は芦雪らしく、ユーモアにあふれた作風の寒山拾得図であった。我々は、長澤芦雪が散策したであろう庭内を歩き、芦雪が腰を掛けたかもしれないお堂の片隅に腰を下ろしシガー(ラ・フロール・ドミニカーナ・モヒート)を燻らせた。芦雪が見たであろう二重の塔、小さな御堂、思いを馳せながらシガーを燻らす。普段は誰もいないこの落ち着いた雰囲気の中で、我々二人はまさに寒山拾得気分で吹かすシガーであった。(写真資料提供、和歌山県田辺市稲成町高山時)

きもだめしシガー





我々は串本で晩飯を食べ温泉に入った後、夜に去年シガー生活で訪れたすさみにある江須崎に向かった。夜のR42号線は暗く、前を行く車もなかったのである。それゆえ早く午後8時頃に着いたのである。ここには童謡公園とゆう都築響一のロード・サイド・オブ・ジャパンにとり上げられたとゆう、童謡の歌の銅像とその前を通るとセンサーでその童謡が流れるとゆう奇妙な公園があり、昼間はそれなりに観光客で賑わいもしている所であるが、夜になると一変して、真っ暗な人っ子一人いない場所となるのである。我々は懐中電灯を手に持ち、銅像を照らしてみた。案の定、「お花が笑った」の銅像がライトに照らされ、にたっと笑った表情が不気味であった。そんな公園を通り過ぎ断崖の階段を海のほうへ降りていくと江須崎の島があるのである。今夜は台風の余波で波浪の音が良く聞こえてくる。地続きになった所と橋を渡り、鳥居の前に着く。ここからは春日神社の聖域である。お辞儀をして鳥居をくぐり本殿へと向かう。やはり、誰もいない、誰かが居たら怖いとゆう事もあるが・・・。石段を懐中電灯を照らし登ってゆく。広場に出る。建物のほうを照らしそちらに向かう。建物の石段に腰を下ろし、ライトを消してみる。木々に覆われてはいるがその上のほうの空が分かる。波の音がここまで聞こえている。我々はシガーをやる事にした。火を点け再びライトを消す。何も変な気色は感じられない。ここが神社だからであろう、お寺だと墓場もあるし又違う気色だろう。我々はここら辺の怪談話を始めた。R42の次ぎの死者を待つ霊たちの話。人が死ぬと先に魂がお墓に向かっていくとゆう人魂を見たとゆう話。きも試しに乳飲み子をせたらい女が暗がりから帰ってくると、子供の首が無かったとゆう話など・・・。とその時、頭上から何かが落ちてきて肩に当ったのである。木の端くれだった。これは我々に対するこの神社の神の警告と我々は見たのである。首が落ちてくる代わりであろう。我々は暗闇の神社を後にし、又、懐中電灯を頼りに来た道をシガーをやりながら戻ったのであった。

Cigar walking











無量時で水墨画を鑑賞した後、我々は久しぶりに本州最南端にある大島にやって来た。夏の終わりの夕暮れ時である。台風の余波が少し残っているからか風が少し強い中、我々はシガーを一本やりながら何処まで歩いていけるのだろうかと思い、実践してみる事にしたのである。実験に使われたのはホセ・エル・ピエドラ・クレマスである。シガーに火をつけ吹かす。まず、串本大橋の展望台に上り本州最南端の景色を見入る。太平洋のシケタ海や串本湾を見ているとすごく眺めがいいので歩くのをしばし忘れて見入ってしまったのである。本題に戻り、ウォーキングする事にした。つい数年前まではこの橋がなく、島とは串本節にあるように巡行船やフェリーで行き来していたものだが今は立派な橋が出来ている。歩き始めて、橋の上も風が強い。帽子が飛ばされそうである。車で通り過ぎると何のことはないが、歩いてこの景色を眺めて見るとよりいっそうこの周りの美しさがしみじみ分かるのである。ループ橋に差し掛かった頃、シガーも半分吸い終わったのでUターンすることにした。ここは地元でもウォーキングポイントになっているのか少し人が多いなぁ、とはいっても5人くらいであったが。太平洋からのマイナスイオンたっぷりのしかも混じりけのない海風に吹かれながらのシガーのお味は、いつも吹かすシガーよりもおいしく感じられたのである。出発地点に戻り残りのシガーをベンチに座り吹かす。夕暮れの涼しい風が吹いてくる中、景色も空気も最高だし、誰もいなくて、ベンチに持たれかけマターリと和む感じが最高に心地よかったポイントであった。

無量時、長澤芦雪、作品集。

境内

寒山拾得図







 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 





 
龍虎図




・・・ふぅーっ、一服。

山神宮




本日我々は、熊野の山中、大塔村下川上にある山の神の社にやって来た。山の神社は全国至る所にある信仰だと思われるが、話し変わって、一昔の頃は、「家の山の神がねぇ・・・」とか言って、女房のことを意味したもんでしたよね。そうなんです、山の神は元来、女神であります。日本各地の山々の守り神なのです。普通は山の部落の外れなんかにひっそりと社があり、お祭りと言っても、ほんのささやかなお供え物をして拝むだけとゆうのがほとんどだそうです。しかし、我々が発見した山神宮はちょっとユニークなもんです。まずは杉か檜かの木が、根本から二股なって上に伸びているその間から社に入るとゆうものです。所謂、女神の股くぐりとゆうものですね。私はその股座を足で何度も撫でてやりました。社が又ユニークであります。普通はご神体は見えてないのが殆どと思いますが、ここのご神体は一見、不動明王のようであります。これは見せかけだと思います。本来女神でありますから。その証拠に、御神体の隣には石で作られた男根と丸い石が二つ添えられておりました。これは、御神体が歓ぶようにでありましょう。なかなかにユニークなセッティングだと思います。我々も男でありますから、喜んでおられる事でしょう。女の方はあまり入らないほうがいいような、嫉妬するかもしれないからであります。そこで我々は、男根に見立てて、ぶッといシガーを奉納さしていただく事にしたのであります。熊野の山〃の安全と熊野シガー倶樂部をお守りくださるようにと祈願しつつシガーを吹かす我等でありました。

貝〃喜〃の桃源郷







盆過ぎて、夏休みもそろそろ最終に入った今日この頃、我々は隣町、南部町の堺港の普段は禁漁区である磯辺で漁師体験が出来ると聞きつけ出かけたのである。漁港から裏手の海岸に行くと大きなテントが張られており、その周りには大漁旗でデコレーションされている会場があった。テント内の素朴な竹の長椅子にすわり、今日の体験メニューの説明を聞いた。まずはいきなり船に乗り込みガシラとゆう魚の漁体験であった。小船に乗り少し沖に出て仕掛けのあるポイントに行き、仕掛けを引き上げると針にガシラとゆうとげとげしい魚が引っ掛かっていた。名前はよく聞くが食べた事はなかったのであった。しばらくするとなんか私は船に酔いかけてきたのであった。酔う前に陸地に戻りテントでここいら辺の磯について専門家の人の話を聞く。そして漁師さんによるイカの捌き方の講習があり、いよいよ楽しみな海鮮バーベキューが始まった。イカをまずは自分達で裁き、ドラム缶を半分に切った炭焼きバーベキュー台の網に乗せる。そして、漁師さんが用意してくれていた、ウツボのから揚げ、巻貝のボイル、名前は忘れたが、小さな鰹の焼き物バイキングしてきて、そして、ソードフィッシュを網に乗せて塩を振り焼く。その間に調達しておいたビールを飲む。本日は風があり涼しくて炭焼きバーベキューも楽だ。我々は目の前の磯で取れた新鮮な海の幸を存分に食したのであった。特に巻貝は旨かった。腹がいっぱいになったところで、周りの家族連れ人々は子供を連れて磯に遊びに行っていた。我々は、当然の如くシガータイムの始まりである。ホセ・エル・ピエドラに火を点け食後の一服。ここでもシガーなんぞは我々だけであった。

シガー修験道




吉野から熊野への修験の道の最終段階にある、奈良県下北山村、前鬼口にある峻険な山々に囲まれた、不動七重の滝である。我々もきびしい修験道を真似てこの滝と相対峙し、座禅を組みシガー修行を敢行する為にわざわざくねくねとした、しかも落石の恐れのたかい山道を車を走らせやってきたのである。ここはほんと遠いっす。で車のバックハッチを開け放ちその中で座禅を組みシガー(JLピエドラ・クレマス)を吹かす。真夏でもこの山中での温度は生暖かいくらいであった。誰も居ず、滝の音さえ届かない静寂の中、目を瞑りシガーを吹かし、心頭滅却。その間会話もなし、葉巻を吸い終える、ふっー、よし、これで我々のシガー道もまた霊験あらたかに極まった事であろう。何事も修行が必要なのである。なんちゃったりして。



ここは三重県紀宝町、丸山千枚田である。西日の射す頃我々は、また車の後部ハッチを開き、座禅を組みこの自然の風景を眺めながらシガーを吸う。誰もいない、音もない、あるのは大小様々に幾重にも折り重なった田んぼのみである。それと、我々の口から出る紫煙のみである。