2007年4月19日木曜日

Healing 、satisfaction and make your real



我々は、熊野古道を行く旅人が、その旅の目安とした、街道沿いにある王子あとに来ている。ここは、熊野古道中辺路にある滝尻王子である。この王子は、藤白王子、切目王子他二つと並び、特に重要な王子であり、天照大神の子供らを祭っている5社であり、若返りのいわれのある王子であります。先程まで観光バスや車で来ている人達がいたのだが、我々がこの聖地に足を踏み入れた頃、皆帰っていってしまったらしい。昔の参詣者は、ここで旅の安全やいろいろな願い事をし、また先の王子へと行く気力を得て行ったのだろうか。熊野詣はそもそも、生まれてからこの身についた罪やけがれを清め、取り除く為に、京の都よりこの長く、山中険しい道を熊野三山へと行き、お参りをし、また、那智の大滝の神飛沫により罪やけがれを取り払うとゆう目的である。そのことにより、人は心を癒され、満たされ、また新たに蘇っていくとゆうことになるのだろう。このことは、葉巻にもいえなくもないであろう。一種の宗教とゆう考えもできるかもしれない。先程の熊野信仰の「癒す、満たす、蘇る」とゆうことがシガースモーキングにおいても同じことが体現できるからである。酒と共にシガーを頂き、紫煙の漂いを見つめながら、インナースペースにはいり、思索の時間を過ごす。そこから得られる何かがあるはずて゛ある。この王寺のある古道の横には、熊野の山中より流れてくる富田川が流れており、古道はその川沿いを下流からここまで来て、この滝尻王子のある裏手より山中に登っていくルートになる。その清流富田川を見渡せる古道沿いの石垣に腰を落ち着け、我々はシガーを吸うことにした。周りには苔むした岩〃やまた、楓や椎などの原生林が残っており、癒しのスペースとゆう感である。「神聖なる癒しの地で、我々はシガーを吸い、身を清め罪を葉巻の紫煙と共に煙に流せればいいのであるが・・・・」

0 件のコメント: